マインドフルネスとかいう嘘科学
いや、宗教戦争を起こすつもりはない。
私は毎日朝6時半に起き、パンを食べてニュースを見る。
そのあと、出勤までの数分間は、マインドフルネス瞑想とかいう嘘科学を嗜む時間だ。
Search Inside Yourselfなる書籍を、二年前に買った。
本書では、「GoogleやAMEX、LinkedInなどといった大企業も取り入れている情動的知能を高めるトレーニング!」などという触れ込みでマインドフルネス瞑想を推奨しており、その手法やレッスン、効能について、筆者チャディー何某という胡散臭いアジア系米国人が熱弁している。
以前、noteでも書いたが、真言宗なり禅宗なり、チベット高僧なり何でも良いが、瞑想は「生を感じることである」「心の筋トレである」という殺し文句が一般的だ。
まぁ歴史ある仏僧だけでなく、陽キャ極まりないアメリカの白人までもが口をそろえて「マインドフルネスはいいぞ」というのだ、プラセボも考慮して、良いと言う人が多いのならまぁ悪くはないのだろう。
私が瞑想に出会ったのは、中学生の頃で、当時から寺社仏閣巡りが好きだった……ということは関係なく、
学習塾における国語の授業では、毎回マインドフルネス瞑想をやらされた。10分ぐらい。
3秒吸い、2秒止め、10秒吐く……の繰り返しを、無心で繰り返すのだが、苦ではなかったと思っている。
ただし、効果は知らん。
訳あって、今も日課としてなぜか取り入れいてるのだが、一向に効果が現れた記憶がないのだ。
社では常にイライラしているし、イライラしていることに気付くことすらままならない。
かれこれ三年ほどはマインドフルネス瞑想を取り入れた暮らしを行っている。
しかしFitbit女史もストレス値が下がった旨のレポートは出していないし、やはり憂鬱な気分も消えることはない。
続けるだけ無駄だぞ、絶対。
そんなことするより読書しろ、読書。
読書はいいぞ。PSYCHO-PASSの槙島も言ってる。
まぁ続けるんですがね
別に嫌いなわけじゃないんだ、瞑想って。
スピリチュアルとかそういうのじゃなくて、
私は一人の時間をたっぷり楽しみたいタイプなので、のんびりと何も考えずに過ごす時間が大好きなわけです。
「マインドフルネス瞑想」、きっしょく悪い言葉だと思うけど、ドン引きしないであげてほしい。
私はマインドフルネス瞑想なる興行に、一人の時間を楽しむという快楽を見出しているのです、そういう遊び方もあるんですよね。
ほら、こんな支離滅裂な文章を書きなぐる人間がマインドフルネス瞑想による情動的知能の向上が出来ていると思うか????
余談
神社へお参りするとき、二礼二拍手一礼(出雲大社等は例外として)のいわゆる「お作法」を無意識のうちにやると思うのだが、
二拍手した後に祝詞を唱えるのがいい。
神棚へ祝詞を唱えるときも同じだ。
なんだか、ふわっとした気分になれる。
このふわっとした気分は、サウナの整いにも似ていて、どこか浮遊感のようなものを感じることができる。
マインドフルネス瞑想でも、ふとしたタイミングで同じ事象が見受けられるときがある。
これってやっぱり5Gを受信してるのかね。
5G、やはり神の息吹なのかもしれない。
おやすみなさい。